「えっ うそでしょ まじ かっこいい しかも うつくしい」
日本から1万km以上も離れた地球の果てに生きるノマド(遊牧民)の男たちを目の前に、思わず出た言葉だった。
ちょうどそこでは家畜の売買が行われていて、ニワトリ、ロバ、ヤギ、ウシ、さらにはラクダなどがその市場に集まり、ノマドの男たちが競売をしていた。
私は、2017年後半、アフリカはケニア国の最北端に位置するトゥルカナ族という遊牧民が住む地域にいた。ウガンダ、南スーダンそしてエチオピアと国境を共有しているトゥルカナ地域は、世界遺産にも指定されている砂漠の中の巨大なトゥルカナ湖と動植物の宝庫の国立公園もある。
しかし、近年地球温暖化はアフリカ大陸にもろに打撃を与えており、ここ数年続く深刻な干ばつで、彼らの貴重な財産である家畜のほとんどが死に、水不足や食糧不足で栄養失調の子供達が増え続けているという危機的状況にあった。トゥルカナに住む9割が貧困層(貧困層:一日あたり$1.9以下で生活している人)と言われているが、そこに長引く干ばつが極貧の民族にさらなる追い打ちをかけていたのである。このことについて、ユニセフ(UNICEF)や世界保健機構(WHO)は、「深刻な問題」として2017年に緊急プレスリリースを出したほどである。
そんな状況の中、私がトゥルカナの地に降り立ったのは、現状を把握・調査し、ケニア政府や開発援助機関と共に打開策を検討すべく業務を遂行するためだった。
現地に行くまでの事前準備で、私は日本で様々な文献やレポートを読みあさった。
情報収集すればするほど私の頭の中は、
干からびた大地
ガリガリに痩せ目がうつろの子供達とその家族
もはやそんな姿しかイメージすることができなくなっていた。
そして、今、
灼熱の太陽の下、私の目の前にリアルに現れたノマドのトゥルカナ族の男たちが立っていた。
彼らは、個性あふれたファッションを身に着け、胸を張り威厳に満ちたその姿は、私の想像を見事に覆してくれた。
鮮やかな布で身を纏い、帽子の横には珍鳥の羽を付け、ラクダや牛の骨・角から作られた大きな指輪を指にはめ、さらにアフリカンビーズの首飾りや腕輪もつけている。
そして、彼らはどこに行くにも、家畜を扱う長細い棒を持ち、そして枕にもなる木製の椅子をいつも持ち歩いているのである。
私が無防備に木製の椅子に触ろうとすると、トゥルカナ族の男は、「MYチェア」をサッと私から離し、キッと私をにらみながら、
「(これは、自分か同族の男しか、座らせない)」
と目力(めぢから)で伝えてきた。
強烈なビジョンだった。
無事現地調査も終え、帰国した後も、たまに私はトゥルカナで出会った男たちのことを思い出していた。
彼らを一目見たときに、私の内側で鳴り響いた興奮は何だったのだろう。
私が彼らに見た【美しさ】はどこから来たのだろう。
そんなクエストをぼんやり抱いていたちょうどその頃、日本にアメリカ人の友人が遊びに来たので、そのことを話題にあげると、アメリカで「幸せ」や「豊かさ」に関する面白い研究結果が出ていることを教えてくれた。
それは、アーミッシュ(米国で今も自給自足の生活を続けている人達)やチベットなど世界のいくつかの民族やグループを対象に「幸せ」に関する調査を行ったのであるが、その中でケニアのマサイ族が感じる幸福度は高くトップクラスという結果が出たそうだ。
その中でも強烈に印象に残った話がある。
マサイ族たちは、男女共々自分や他者のことをこう見ているという。
私は美しい(I am beautiful)
そして、あなたも美しい(You are also beautiful)
でも、私はちょっぴりだけどあなたよりも美しい!(But I am a little bit more beautiful than you are!)
自分も他者も【美しい】と認めつつ、自分はその中でも【特別で美しい存在】として自分自身を受け入れている。
そこに、彼らの持つdignity(尊厳)を感じた。それは、たとえ国際的な視点では「貧困層」とラベルを貼られたとしても、気品を持ち自らの軸で生きる在り方。
その在り方の先に、心が満たされる「幸せ」があることを意味しているように思えた。
ちなみに、マサイ族は、家畜を飼う遊牧民としてトウルカナ族と同じライフスタイルを持つことから、このことはトウルカナ族にも言えることであろう。
この感覚を持っている日本人がいま果たしてどれだけいるのだろうか。
他人とばかり比較して、自分の内側に在る美しさを感じられない私たちになってはいないだろうか。
それに加えてもう一つ思うことがある。
私がトゥルカナ族を見て感じた【美しさ】は、
実は
道端に咲くピンクのサクラソウの花を見つけた瞬間
雪山を真っ赤に染める夕日が沈む瞬間
夜空に満月を見つけた瞬間
などに見つけた【美しさ】と似ていて、どれも自然が醸し出す生命力の美しさを、私が本能的に瞬間的にキャッチした時に体験する。それは、言葉を超えた感覚とも言える。
手つかずの自然が広がるトゥルカナの地で、彼らはたとえ厳しい環境下であっても、未だ自然と共存・共生しながら生きている。
果てしなくどこまでも続く地平線に向かって家畜と共に歩くその姿は、自然の大きな流れに身を委ね、まさしく自然と同調(シンクロ)し同化しているのだ。
それは、彼らの中に生きる大自然の純粋性や身体性を通して、【今】を生きるトゥルカナ族の【美しさ】が内外に現れているからだと思えてならない。
彼ら、かっこ良すぎです!
その後私は、これまで20年間従事してきた開発援助の仕事を辞めた。
そして、美しく威厳に満ちた生き方や叡智について自然からそしてカッコいいアフリカから学ぶ、という姿勢で生きていくことを決めたのである。
ここに、私たちのそして地球の未来にとって大切なパートナーシップの姿が在るような気がしてならない。