ライター/ 執筆
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【ここから向こうへ、通過儀礼の先に】

「もう、長く持たないかもしれない」

母からそう聞いた2日後の夕方遅くに、私の叔父にあたる母の兄は息を引きとりました。
享年87歳でした。

叔父をお棺の中に入れる納棺式は、翌々日の土曜日15時半から執り行われるという知らせを受け、私はその当日叔父の家がある島根県の奥出雲という場所に向かうことになりました。

ここは、静かなどこにでもある農村地域ですが、実はスサノオミコトがヤマタノオロチ退治をした話が「古事記」にも登場する、神話ゆかりの土地でもあります。

それにしても、遠い……。

まだ外が暗い中、パジャマ姿で寝てる子供達を抱きかかえてタクシーに乗り、東京から新幹線・電車とレンタカーを使って、9時間かけてようやく叔父がいる家に到着です。

あぁ、私が子供の頃、夏休み・冬休みにはいつもここに来て遊んでいたこの田舎風景、今も変わっていないわ。

子供たちは道中
「今日は何するの?どこに行くの?」
といつもの週末のような気分で、私に聞いてくるのでした。

娘7歳、息子5歳。
まだ、人の死というものをどれだけ、どのように受け止めることができるのか、私にとっても、未知数でした。

なので、子供達にどう伝えようか戸惑いながらも、
「おばあちゃんのお兄さんが死んだのよ。それで、最後にさよならを言いに行くの」
とだけ答えることにしました。

私達はようやく到着すると、久しぶりに会う親類へのあいさつもままならないまま、
「それでは早速、納棺の儀を始めさせていただきます」
という声がどこからともなく聞こえてきました。

それは、おくりびと(納棺師)の声でした。

それまで私達の到着を待っていたかのように、おくりびとの男性二人が縁側から現れ、叔父をお棺の中に納めるために、動き始めたのです。

その二人が、奥の広間の布団で北向きに横たわっていた叔父の掛布団を手際よくばっと取り外すと、浴衣一枚の叔父の身体全体が見え、そこにいた私含む親族一同に静かな緊張感が走りました。

その傍にはすでに「枕飾り」が用意され、お花が添えられ線香とローソクが絶えず灯されているのが見えました。

ベテランに見えるおくりびとの一人が言うには、これから始まる一連のプロセスは、すべて家族や親類が行う、とのこと。
これが、いわゆる【冥土の旅支度】。

まず、割りばしにガーゼを巻きつけ水で浸したものを叔父の唇に濡らして、あの世でのどが乾かないようにと「末期の水」がありました。その後、いりこ小魚と日本酒を口に含ませ自分の身体を清めるのですが、これは地方独特の習わしのよう。

私の番が終わり、振り返って向こうにいる子供達を見ると、見事に固まっているではないですか。
「やってみる?」と聞いてみたものの、子供たちは首を横に振り、ただ固まった状態で全体の様子を見ているだけでした。

続いて、アルコールで叔父の手足を丁寧にふき、生前の苦しみや穢れをふき取る「湯灌」があり、いよいよ、旅支度のメインに入ってきました。

足袋を履かせ、わらじを付け、白装束(死装束)を着せていく・・・
さすがにその時、私の母と母の妹(叔母)は、冷たくなった兄(叔父)に触れ、「もう帰ってこない」ことを実感したのか、大粒の涙で身体を震わせていた姿がありました。

そして、左手に数珠を付け、天冠と呼ばれる白い三角巾を額に付けた叔父の姿は、まさしく「恨めしや」の霊界さながらに……。

ふと少し心配になって向こうで待っているだろう子供達を見ると、知らない間に二人とも私の傍にいて、近距離で、叔父の一連の旅支度をじっと観察しているではないですか。

私の興味を引いたのは、叔父の首に「六文銭」(「寛永通宝」と印刷されたお金が六枚)が入った白い布カバンをぶら下げることでした。江戸時代に使われていたお金で、六文銭は今でいうと200~300円ほどらしく、この世とあの世の境目に流れている三途の川を船で渡る際の船賃だそう。

私は、ここまでリアルに【この世からあの世への大きな旅】に向けて、今ここに生きる私達が故人のために準備をしていることにびっくり、いや感心しました。

ここに来て、小1の娘は突然口を開き、弾丸のように質問を私に浴びせ始めたのです。
「どうして水をあげるの?まだのめるの?のどかわくの?」
「どうしてくつした(足袋)をはくの?」
「どうして川をわたるの?わたってどこに行くの?」
「向こうに行ったら、またこっちにもどってくることあるの?」
「どうして三角のぼうしつけるの?」

そして、質問は難問に入り、最後は……
「かみさまってだれがつくったの?」

その質問の合間にも、娘と息子は、お棺の中で白装束を身にまとい、静かに眠っている叔父の顔のまわりに、白ユリ、赤ピンクのカーネーション、カスミソウ、黄色の菊などの別れ花を、きれいに見せる工夫を凝らしながら、飾ってあげていました。

もう、その頃には、怖がる姿はなく、もう動かない叔父と子供達との距離はなくなっていたのです。

納棺式で執り行われた一連の【ここから向こうに行く通過儀礼】を通して、子供たちは自分との間に存在するいろんな距離を縮めていったのかもしれません。

生きている人と死んだ人
この世とあの世
見えるものと見えないもの

素晴らしい……。

私達を取り巻く現代資本主義の中で、今や形あるもの、見えるもの、成果が出るもの、ロジックで説明、理解できるものしか信用しない人が多くなったこの時代に、生きている私たちは実際に行ったこと(もしくは、その記憶が)ない未知の旅に出かける支度を、亡くなった大切な人のためにみんながお手伝いをしていく……。

実はそこに、ある意味、私は意義を感じ、またワクワクしていました。
それは、見えるものの先に、見えない世界が広がっているという感覚が、なぜか私にはあるからなのです。

とはいえども、これを実証するのは難しく、他の人にその感覚を強要はできないことでもあります。
つまり、それをどう取るかは、其々の心の中に聞いてみないとわからないし、そこに其々違う答えがあって当然なことです。

子供であっても、それは同じことで、いくら説明しても最後は本人次第、自分が何を考え・信じるかに、正解・不正解はないのです。
それでも、固定観念をそれほどまだ持たない子供達にとっては、見えない世界のことを、ノイズが入らず、想い巡らすことができるような気もしています。

だからこそ、今回の納棺式は子供達にとって、とても貴重な体験でした。

作家・三浦綾子さんは生前言っていた
「人は最後に死ぬという大きな仕事がある」とはまさしくこのことなのかもしれません。

その夜のお通夜では、生前叔父が大好きだった地酒をみんなで飲み、笑顔で叔父の思い出話をしながら、冥途の旅へのお見送りができました。

娘は「きっとまたどこかで、向こうの世界にいる叔父さんとも会える」と思っていると、なんとなく私にはわかるのです。

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